アクションも演技力も素晴らしいアンジェリーナジョリー。
彼女の結婚歴と子供たちについて調べてみました。
プロフィール

Angelina Jolie
本名アンジェリーナ・ジョリー・ボイト
別名アンジェリーナ・ジョリー・ピット
誕生日1975年6月4日
出身アメリカ/ロサンゼルス
父親はアカデミー主演男優賞を受賞したこともある俳優のジョン・ヴォイトですが、アンジェリーナが2歳の時に不倫をして離婚しています。
兄はジェームス・ヘイヴンで、彼も俳優をしています。
結婚歴
1回目の結婚&離婚(1996年~1999年)

1996年3月28日に『サイバーネット』で共演したジョニーリーミラーと結婚しましたが、結婚からわずか18か月後には別居し、1999年2月3日に離婚してしまいました。
2回目の結婚&離婚(2000年~2003年)

離婚した翌年の2000年5月5日に『狂っちゃいないぜ』で共演した俳優のビリー・ボブ・ソーントンと結婚しましたが、2002年にアンジェリーナがカンボジアからマドックスを養子に迎えてまもなく破局し、結婚からわずか3年後の2003年5月27日に離婚しました。
3回目の結婚&離婚(2014年~2016年)

2004年5月撮影の『Mr.&Mrs.スミス』でブラッド・ピットと共演し交際が始まりました。2005年12月にはブラッドピットがアンジェリーナジョリーの子供2人の養父となる手続きを申請しています。
2006年1月にアンジェリーナはブラッドピットが父親である子供の妊娠を発表し、パートナー関係を公に認めることとなりました。そして2006年5月に娘シャイロ・ヌーベルを出産。さらに2008年7月1に息子ノックス・レオンと娘ヴィヴィアン・マーシェリンの双子を出産しました。
長い間籍を入れていなかった2人ですが、2012年4月13日、交際7年目にして正式に婚約し、2014年8月23日に結婚式を挙げて正式な夫婦となりました。
2014年に正式な夫婦となったアンジェリーナジョリーとブラッドピットですが、2年後の2016年に離婚してしまいました。
子供たちの現在

マドックス
2001年8月5日にカンボジアで生まれ孤児院で育ったマドックスはアンジェリーナの最初の子どもで、カンボジアから養子として生後7カ月の時に迎えた息子です。韓国ソウルにある大学に留学していました。
マドックスは、アンジェリーナが「頭がよくて落ち着いている」と語る通り、パパラッチの前でも冷静沈着なお兄ちゃんです。飛行機が大好きだった彼のために、2004年にアンジェリーナは小型機操縦免許を取得しています。「飛行機を操縦できたら彼のスーパーヒーローになれると思ったの」と語っていました。ブラットピットの『ワールド・ウォー Z』にゾンビ役で出演しており、ブラットピットによると「頭を何度も撃たれていた」そうです。アンジェリーナはマドックスについて、「彼らの世界が広がると自分の世界が広がったように感じるの。私はとてもワクワクしているわ。マドックスはもうとても立派よ」と語っています。
パックス
2003年11月29日ベトナムで生まれ3歳半まで孤児院で育ったパックスは、2007年3月にアンジェリーナ・ジョリーの養子として迎えられました。パックスは法的には孤児でしたが、実は母親も祖父母も健在でした。しかし、母親は未婚のヘロイン中毒患者で、出産2日後に入院費が払えないのを理由に子どもを病院に置き去りにして蒸発していたのだそうです。そのため養子縁組の書類にはパックスの祖父母がサインしています。
パックスはブラッドピットととても気が合うようで、男二人旅を楽しんだり、ブラッドピットの仕事に着いていくなど微笑ましい様子が見られていました。
2018年のゴールデングローブ賞にはアンジェリーナと一緒に出席しています。
ザハラ
2005年1月8日にエチオピアで生まれたザハラは同年7月生後6ヶ月で養子として迎えられました。アメリカに来た際、脱水症状と栄養失調、さらにサルモネラ菌感染症により入院しなければならないという状態だったそうです。
アンジェリーナとブラッドピットは2006年に「ジョリー・ピット基金」を設立しました。そして2008年からは、ザハラの祖国エチオピアからエイズと結核を撲滅するための専門医療機関を建設計画に着手しています。その時に語られたのは、「ザハラは成人したらその医療機関の運営にあたる」というもの。まだまだ幼いザハラ、将来はどんな職業についているのか楽しみですね。
2019年『マレフィセント2』のプレミアでは、ジュエラー「Robert Procop」の協力のもとデザインしたという“ザハラ コレクション”のイヤリングやブレスレットなどのジュエリーを身に着けて出席しました。同コレクションの利益はLAのチャリティ組織「House of Ruth Shelters」の支援に使われるということです。
シャイロ
アンジェリーナとブラッドピットにとって初の実子シャイロは、2006年5月27日にアンジェリーナの希望でアフリカのナミビア共和国で誕生しました。2人にそっくりな女の子です。
トムクルーズとケイティホームズの娘スリと同時期に生まれ、大変対照的な女の子同士だったので「野生児シャイロと令嬢スリ」と言われ、マスコミはいつもシャイロとスリを追っかけていました。

シャイロは小さい時から男の子の様な格好をすることでも話題になっていました。マスコミはシャイロについて「性同一性障害では?」と書き立てたこともあり、その件に関して、アンジェリーナは「シャイロのしたい格好をすればいい、自分も小さい時ボーイッシュな格好が好きだった」と語っています。

現在は髪も伸び、いろいろなファッションを見せてくれています。
ノックス

双子であるノックスとヴィヴィアンは2008年にフランスのニースで生まれました。
ヴィヴィアン

ノックスと一緒に生まれた末娘のヴィヴィアン。ヴィヴィアンは4歳のときにアンジェリーナが出演する映画『マレフィセント』でエル・ファニング扮するオーロラ姫の幼い頃を演じています。
オーロラ姫の子役の候補者たちは当時皆3~4歳の子供達だったのですが、ヴィヴィアン以外の子供達はみんなマレフィセントに扮したアンジェリーナの姿を怖がってしまったのです。ただ一人怖がらなかったのが、娘であるヴィヴィアンだけだったからというのが出演の理由です。
娘の映画デビューには父親であるブラッドピットも協力してくれて、一家総出で撮影現場に行き、映画の撮影を遊びのように工夫したそうです。
アンジェリーナは「ヴィヴィアンは私が彼女をプリンセスにしてあげたというのを未だに信じてないの」「彼女はオーバーオールが大好きで、私が彼女にドレスを着せるのは無理。だから彼女は『どうやって私をプリンセスにしたっていうの?』っていう具合なのよ」と語っています。
2022年4月にパパラッチに撮影されたヴィヴィアン

映画デビューをしたことで、ヴィヴィアンも映画界に?という期待の声があるようですが、アンジェリーナによると子どもたちは両親のようにハリウッドデビューすることにはあまり興味がなく、かわりにボランティアやビジネスの分野に興味を持っているそうです。
養子を引き取った理由
7歳の時父親と共演したことがありましたが、その作品には、離婚原因の不倫相手も出演しており、さらには母親も小さな役ですが出演という幼い彼女にはとても受け入れがたい経験でした。
そのころから不安障害と不眠症に悩まされることになります。
10代の頃には貧しい生活のため、いつもリサイクルショップでしか服を購入できず、古くてサイズの合わない服を着ていることなどからいじめられ、学校生活が辛く自傷行為をするようにもなったそうです。
学校を自主退学して演技の世界に入ってからも、精神的に不安定だったアンジェリーナ。2回目の結婚式の10日前には「我慢できないおかしな衝動を感じる」と自ら精神病院に入院したりもしています。
2001年「トゥームレイダー」、この作品は彼女にとって、とても大きな意味のある作品になります。
1つは、年月が流れ、ますます敵同士になった父親とこの映画で親子役を演じたことです。当時、父親は公開インタビューでもアンジェリーナを強く非難していましたし、アンジェリーナも法手続きを経て、自分の名前から父親の名字であるヴォイトを消す改名申請するなど、二人の仲は険悪なものでしたが、この映画で切ない親子関係を演じた二人は自分たちの過去が重なったのか、この撮影をきっかけに劇的に和解しました。
そして、もう1つは「トゥームレイダー」の撮影でカンボジアを訪れたことです。これまで自分は不幸だと固く信じ心配と不安包まれていたアンジェリーナですが、カンボジアには親の顔も知らず、将来について考える余裕もなく、毎日の食べ物を求めて路頭をさまよっている人でいっぱいなのを目の当たりにし、自分が当たり前だと思っていたことが、彼らには生死がかかっていることであり、世の中には自分より不幸な人がとても多いことに気が付きました。
この時アンジェリーナは、これまで憂鬱で悲観的だった自分の価値観に後悔を越え恥ずかしさまで感じたといいます。
アンジェリーナはすぐに行動しました。1億円を超えるお金を国連難民機関に寄付したうえ、映画の撮影後にも再びカンボジアに戻ってボランティア活動を始めたのです。
ボランティア活動に没頭することで、アンジェリーナはついに生きる目標ができ、自尊心も高まり、これまでの憂鬱さが消えたといいます。
そして、そこで出会ったマドックスを養子に迎えることも決心しました。
「2001年、私はサムラウトでの学校プログラムに参加し、小さな子どもたちと床の上でブロック遊びをしていた時、『私の息子がここにいる』とハッキリと思った。それから2〜3ヶ月後に、養護施設で赤ちゃんだったマッドに出会ったのです。うまく説明できないし、私は神託や迷信を信じる方ではないのですが、とにかくとてもリアルでハッキリしていたのです」と後のインタビューで語っています。
養子を迎えることについても、「それぞれが家族となる美しい道なのです。大事なのは、すべてをオープンに話し、シェアすること。“養子”や“孤児”は我が家ではポジティブな単語です。養子に迎えた子どもたちとは、その子を妊娠していた時の話をすることはできませんが、その子を見つけるまでの過程の詳細や愛情、初めてその子の目を見た時の印象を話すことができます」と語っています。
影響力・経済力のあるセレブとしての力を自身の道楽などに使うのではなく、養子を迎え愛し育てることにより人道支援に利用してきたアンジェリーナの行動は本当に素晴らしいことですね。
まとめ
複雑な家庭環境により精神的に不安定だった彼女は、与える愛によって満たされることになったのですね。
2022年4月にも、ロシアによる侵攻が続いているウクライナを訪問し、リビアの病院や寄宿学校で、弾道ミサイルによって負傷した子供たちをお見舞いするなど、慈善活動や多額の寄付を続けています。
今後も6人の子供たちと幸せに過ごし活躍してほしいです。