「ターミネーター2」でスーパースターになったエドファードファーロング。
一時は、レオナルド・ディカプリオのライバルで伝説のイケメンと呼ばれました。
現在は年齢が40歳を超えていて色々とニュースになることが多いですが、今回はエドファードの子役時代から現在までを振り返ってみます。
目次
エドワードファーロング 子役時代
Edward Furlong
本名エドワード・ウォルター・ファーロング
誕生日1977年8月2日
出身アメリカ/カリフォルニア州
1997年、メキシコ系の母親と、ロシア人の父親の間に生まれました。しかし、父親は彼が生まれる前に、母親の元から去ってしまいます。
そうして彼は、父親の顔も知らないまま、母親の元で育ちました。
その後、母親は再婚して子供を産み、エドワードはしばらくこの新しい家族と暮らしていました。
しかし、貧しい生活であったため、母親は彼を育てることを諦め、母親の妹のナンシーと弟のショーンに託してしまいました。
この時からエドワードは、叔母と叔父の元で育つことになります。
そうして13歳になったある日、やることなく街をうろついていたエドワードは、「ターミネーター2」のキャスティング・ディレクターだったマリ・フィンの目にとまりました。
マリ・フィンは、エドワードが持つ、か弱くて反抗的な雰囲気が、ジョン・コナー役によく合うと思い、彼にオーディションを受けないかと提案したのです。
アーノルド・シュワルツェネッガーのファンだったエドワードは「ターミネーター2」に出演するために何度かオーディションに参加し、その結果、100人以上の応募者を抑えてキャスティングされることになりました。
こうして、彼の俳優としての人生が始まります。
偶然なのか、ジョン・コナーという役柄も、エドワードと同じように、実の親でない大人たちの元で育った少年でした。
「ターミネーター2」は洗練された脚本と演出、そして画期的な撮影技術で世界的に大ヒットし、そのおかげでエドワードは、デビューしてすぐに世界的なスターになりました。
アメリカの多くの少年たちが、エドワードのヘアスタイルやファッションを真似し、彼の顔をタトゥーで入れる人までいました。
進撃の巨人 リヴァイ兵長のモデル?
こうして比較してみると、雰囲気や髪形はとても似ていますね。
ネット上では、リヴァイのモデルはジョン・コナー という記事が多数見受けられますが、進撃の巨人の作者諌山先生が、はっきりと断言している情報源は見つけることができませんでした。
諌山先生はリヴァイ兵長が本編に出てくる前からロールシャッハ(アメリカンコミック「ウォッチメン」の登場人物)がモデルだとブログに書いていました。
リヴァイの名前の由来も公式に発表されています。アメリカ映画「ジーザス・キャンプ」に登場するリヴァイ少年です。作者は「いい名前だったから。」とコメントしています。
名前だけでなく髪型も「ジーザス・キャンプ」のリヴァイ少年からとったようです。
リヴァイ作画のモデルになったのは、ジョン・コナーではなく、「ジーザス・キャンプ」のリヴァイ少年のようですね。
リヴァイのイメージは、「映画」の「ウォッチメン」の「ロールシャッハ」です、
※原作ではなく、ただひたすらカッコいい「映画」のロールシャッハ
作者の諫山創さんのブログより
ちなみにリヴァイ兵士長の名前の由来は、こちらの番組(※)で一番目に紹介された「ジーザス・キャンプ」より、立派なキリスト教福音派の牧師を目指すリヴァイ少年からとりました、いい名前だと思ったので
諫山創さんのブログより
※「松嶋×町山 未公開映画祭」ナビ
リヴァイ兵長のモデルではないようですが、いまだに人気のヘアスタイルなのは確かなようですね。
エドワードファーロング 親権争い
「ターミネーター2」で一躍スターになったエドワードですが、当時エドワードは未成年だったため、彼が稼いだお金は大人の誰かが管理をしなくてはいけませんでした。
それを知った母親は親権を主張し、当時エドワードの実際の保護者だった叔母と叔父と、親権をめぐって争い始めてしまいます。
誰の目から見ても、彼らの目的はエドワードではなく、彼が稼いでくるお金でした。
「ターミネーター2」の撮影当時、エドワードは13歳でしたが、彼の体格はその年代の子供たちよりはるかに小さかったのです。その理由は栄養不足のせいでした。もし、彼の家族がちゃんと世話をしていたら、彼の健康状態はこんなに悪くなかったはずですよね。
お金を稼ぐ前は放置していたのに、お金を稼ぐようになると親権をめぐって争い始めたのです。
長年の争いの末、親権は母親ではなく、叔母と叔父になりましたが、裁判所は、彼らがエドワードの財産を勝手に使うことを防ぐために、弁護士の「ブルース・ロス」にエドワードの財産を管理する権限を与えました。
エドワードの叔父と叔母は社会福祉機関で働いていましたが、エドワードの親権得るとすぐに、エドワードのマネージャーをするといって仕事を辞めたり、大きな家に引っ越したり、エドワードの財産を自由に使いたがり、その都度、弁護士と争っていました。
しかも、ある時は、エドワードに弁護士を説得させようとしたりもしました。
「ターミネーター2」の経験から、演技に情熱を持つようになったエドワードは、俳優という職業と、自分のことを愛してくれるファンたちが大好きでした。
いろんなインタビューで「私にも価値があると思います。自分が本当に好きな仕事をしながら生計を立てることができて幸運だと思います」と語っています。
しかし、やはりというか、マネージャーをやるといった彼の叔母と叔父は、彼の俳優のキャリアに全く役に立とうとはしませんでした。
エドワードが出演した「母の贈りもの」のトニー・ビル監督は、エドワードのマネージャーだった叔母と叔父について、「彼らは8週間の撮影期間中、一度も彼の演技がどうか聞かなかった。たった一度も」と公に非難しました。このように撮影現場のスタッフの間で非難の声が徐々に上がり、弁護士はこの問題について話しましたが、それでも、エドワードは彼らがマネージャーとして働くことを望み、何の措置も取りませんでした。
最も近い家族たちに愛されず、でも、家族を愛しているエドワードの気持ちを考えると、とても切なくなりますね。
エドワードファーロング 恋人ジャクリーン
「ターミネーター2」の撮影期間に出会った、エドワードより13歳も年上で26歳の女性ジャクリーン・ドマックは、撮影の間エドワードの家庭教師をしていました。
最も近い家族に愛されなかったこの時期に、エドワードを慰めてくれていたのはジャクリーンでした。
彼が稼いでくるお金だけに興味がある他の大人たちとは違って、自分に興味を見せてくれる彼女とエドワードは恋に落ちます。
SF映画「ブレインスキャン」の撮影現場で、叔母と叔父 と ジャクリーンが喧嘩をしてしまい、しかも、何度も繰り返し争っていたため、エドワードは演技に集中しづらくなり、製作者のマイケル・ロイからは「彼らが撮影に支障をきたし続けるなら、その分だけ費用を払ってもらう」と警告までされてしまいます。
このことがきっかけで、叔母と叔父か、恋人かという選択をしなくてはならなくなったエドワードは、最終的に恋人を選んだのです。
この選択についてジャクリーンは「私は彼の仕事の管理をするけど、お金は関係ないの。ただ手伝っているだけ。これだけは明確にしておきたいわ」と語っていました。
その後も、様々な作品に出演したり、カルバン・クラインのモデルに起用されたりと活躍を続け、「アメリカン・ヒストリーX」では、評論家たちからも絶賛され、「子役俳優」のレッテルも剝がされることになります。
しかし、7年間付き合いましたが別れることになったふたり。
するとジャクリーンは別れてから1年後に、エドワードが自分を殴ったとして裁判所に告訴し、それに加えて、3年間エドワードが得た収入の15%約11万ドルをマネージャーとして働いたという名目で請求しました。
家族に続いて「お金は関係ないの」と言っていた恋人も結局・・・
この頃から彼は、心身ともに疲弊してしまい、結局麻薬にも手を出し始めてしまいます。このとき彼はまだ22歳でした。
この後、出演した2作品が続けてコケてしまい、ますます彼は荒れていってしまいます。
「ターミネーター3」
エドワードにとっては、ジョン・コナー役で復活出来る最高のチャンスでしたが、製作者はエドワードが麻薬のせいで体調が悪いことを知っていたため、ジョン・コナーの役にはほかの俳優をキャスティングします。
エドワードがキャスティングされなかったというニュースは「ターミネーター」のファンに、また、エドワード自身にも大きな絶望を与えました。
エドワードファーロング 結婚生活
女優レイチェル・ベラと2006年に結婚し、息子も生まれましたが、3年後にはレイチェルに離婚訴訟を起こされてしまいます。
レイチェルとエドワードは息子の親権をめぐり長い間争いましたが、結局親権はレイチェルのものになります。
「ターミネーター:ニュー・フェイト」
2019年、「ターミネーター:ニュー・フェイト」の製作が発表され、製作会社は、アーノルド、リンダ、エドワード全員出演する予定だと大々的に宣伝しました。
しかし、実際に出演したのはエドワード本人ではなくCGでした・・・
もし、13歳の時のエドワードのそばに無償の愛を与えてくれる存在がいてくれたら、
優しく演技が大好きな彼はもっともっと活躍していたのではないでしょうか。
健康を取り戻して、まだまだ活躍してほしいですね。