Will Smith
本名ウィラード・クリストファー・スミス・ジュニア別名The Fresh Prince
誕生日1968年9月25日
出身アメリカ/フィラデルフィア
ラッパーからスターとしてのキャリアを歩み始めた、名俳優ウィル・スミス。友人と組んだ「DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンス」ではグラミー賞を4度受賞しています。
1992年「ハートブレイク・タウン」で映画デビューしてからは、次々と大ヒット作に主演し、最も稼げる黒人ハリウッドスターとして活躍し、2021年「ドリームプラン」では自身3度目のノミネートで初となる主演男優賞を受賞しました。
この時の「平手打ち事件」は記憶に新しいですね。
妻の脱毛症を侮辱されたことに対する怒りの行動でした。
そこでこの記事では彼の家族構成などについて紹介していきます。
ウィル・スミスの家族構成
ウィル・スミスには離婚歴があります。1992年にシェリー・ザンピーノと結婚し、息子トレイが誕生。しかし1995年に離婚しています。
ウィルは、シェリーとの離婚から2年後となる1997年に女優のジェイダ・ピンケットと再婚。息子ジェイデンと娘ウィローも現在芸能活動をしており、アメリカではとても有名な芸能一家です。
ウィル・スミスの息子 娘
ウィル・スミス 息子トレイ
生年月日:1992年11月11日
出生地:アメリカ
身長:184cm
職業:DJ
ウィルがシェリーさんと結婚したのは24歳のときです。結婚後すぐにトレイが誕生しましたが、赤ん坊の彼を家に連れて帰った時、ウィルは不安で涙が止まらなくなったそうです。
「僕がこの子の人生を預かってるんだって思ったら、不安で彼の様子を見続けるのを止められなかった。とにかく泣いたよ、今思い出しても涙が出る…。『僕には無理だ、父親なんて向いてない』って、自分に親としての知識が何もなかったことを、そのときに痛感したんだ」と、後のインタビューで、ウィルは涙ながらに語っています
ウィルとシェリーは、トレイが2歳を迎えた頃に、離婚することになってしまいます。
「離婚は僕の人生において、究極の失敗だった」と、ウィルは後のインタビューで述べています。
ウィルはコメントで「トレイの母親と離婚してから、トレイと僕は長いこと上手くいかなかった。トレイは裏切られ、捨てられたと感じていたと思う」と、仲が良いように思われていたスミス家の隠された困難を明かしています。
そんなウィルとトレイの関係が改善の方向に向かっていることが分かったのは、2018年のウィルが投稿したこちらのInstagramでした。
機械好きなトレイとウィルは自動車レースのF1を観戦しに出かけたそうです。
「息子のトレイが、突然気づいたように話し始めたんだ。『なんかさ、父さんって、ただ俺の父さんってわけじゃないよね』。そこでトレイは一旦考えこんで、こう言ったんだ。『今確信したけど、父さんって俺の親友だわ』」
この言葉にウィルは感動のあまり言葉に詰まってしまったそうです。そして、「そうだな…。うん。きっと、そうだな…」とだけ答えたそうです。
紆余曲折しながらも、再び親子の絆を取り戻した二人。本当に良かったですね。
ウィル・スミス 息子ジェイデン
本名: ジェイデン・クリストファー・シュア・スミス(Jaden Christopher Syre Smith)
生年月日:1998年7月8日
出身地:アメリカ カリフォルニア州マリブ
身長:170㎝
職業:俳優
2006年に公開されたガブリエレ・ムッチーノ監督「幸せのちから」。 ジェイデンはこの作品で僅か8歳にして映画出演デビューを飾り、さらに父親のウィル・スミスと初共演を果たしました。世界的スターのウィル・スミスの血を受け継いだ事を感じさせるジェイデンの演技力が注目され、世界中で高く評価されている作品です。
その後も「地球が静止する日」で世界的な俳優・女優であるキアヌ・リーヴスとジェニファー・コネリーとの共演を果たしました。父親を亡くして心を閉ざした少年という難しい役柄を演じたジェイデンですが、この作品でも高い演技力が益々評価されたました。
世界的スーパースターのジャッキーチェンと共演した「ベスト・キッド」では、わずか12歳にして主演に抜擢されました。幼い頃から習っていたという空手を活かし、激しいアクションにも挑戦しています。
彼の才能は演技だけにとどまらず、2011年にはジャスティン・ビーバー のシングル「Never Say Never」でラップを披露し歌手としても才能を開花させています。
ウィル・スミス娘 ウィロー

本名:ウィロー・カミール・レイン・スミス(Willow Camille Reign Smith)
生年月日:2000年10月31日
出身地: アメリカ カリフォルニア州ロサンゼルス
身長:170cm
職業:歌手、女優、ダンサー
2010年、まだ9歳だったウィローは、『Whip My Hair』でエンターテイナーとしてデビューしています。この曲はビルボードホット100チャートで11位までのぼり詰めました。彼女はビヨンセの夫ジェイ・Zが代表を務めるレコードレーベル「ロック・ネイション」と契約を結んでいます(同レーベルと契約した最年少アーティストとなったことでも有名です)。
2015年12月にデビューアルバム『Ardipithecus』をリリースした後も、『The 1st』(2017)、『Willow』(2019)、『Lately I Feel Everything』(2021)の3枚のアルバムを発表しています。
音楽のキャリアに加え、女優としての仕事もしています。
妻の病気 脱毛症
本名:ジェイダ・コレン・ピンケット=スミス(Jada Koren Pinkett Smith)
生年月日:1971年9月18日
出身地:アメリカ メリーランド州ボルティモア
身長:152cm
職業:女優
ここ数年「抜け毛」に悩まされてきた彼女は、自身のInstagramで坊主頭にしたことを報告。
「ウィローが私に髪を剃らせたの。髪の毛を手放すときが来たからね。私の50代は、このヘアスタイルで素晴らしいほど輝くでしょう」
ジェイダの投稿は、ウィローがシェアした投稿をリポストしたもので、ウィローはこうキャプションにコメントしています。
「天からの贈り物はとってもピュアで、ふさわしいときにふさわしい人に与えられるの。見返りを期待してないときにね」
現在は前向きに受け止めているようにみえるジェイダですが、自身の抜け毛について語ったエピソードでは、その瞬間をこう語っています。
「ある日シャワーを浴びていたとき、私の手にほんの一握りの髪が抜け落ちていたんです。そのときは『私はハゲてしまうの?』と感じました」
「それは恐怖で震えてしまった経験の一つです。私にとって、自分の髪をケアすることは美しい儀式のようなものでしたし、抜け毛のケアをする選択もできたんです。でもある日、『どうしよう、もうその選択肢がないかもしれない』と思いました」
その後、抜け毛の原因を調べるために複数の専門家や医師に相談したというジェイダですが、その原因を突き止めることはできなかったそうです。
「私は、あらゆる種類のテストを受けました。しかし、誰もこの原因を突き止めることができなかったんです」
髪がどんどん抜けていくのは、とても怖くて悲しい気持ちだったと思います。
脱毛症は、加齢によるものや自己免疫疾患など色々原因はあるようですが、いくら調べても原因がわからなかった時の気持ちを考えると心痛いですね。
病気に悲しみ、苦しんでいる様子を見ていたからこそ、受賞式でのあの行動があったのだと思われます。
暴力はいけませんが、気持ちを抑えられなっかたのでしょうね。